関東部会
第76回研究例会
日時 2005年12月3日(土)14:00〜17:00
場所 慶應義塾大学 三田キャンパス 北館1階 会議室
(http://www.keio.ac.jp/access.htmlをご参照下さい)
報告1「ロックによるマルブランシュ批判――アルノーによる批判を踏まえて」
報告者 石井友人 会員(日本大学文理学部人文科学研究所研究員)
コメンテーター 今村健一郎 会員(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
報告2「イギリス理想主義における有機的社会観の射程――ボーザンケットとリッチーの政治思想を中心として」
報告者 高村寛彦 会員(横浜国立大学大学院博士課程後期)
コメンテーター 柘植尚則(慶應義塾大学文学部)
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報告要旨
報告1
「ロックによるマルブランシュ批判――アルノーによる批判を踏まえて」
石井友人(日本大学文理学部人文科学研究所研究員)
ジョン・ロック(John Locke 1632-1704)が、『マルブランシュ神父の全ての事物を神の内に見るという意見についての吟味』(1693)と呼ばれる遺稿においておこなったマルブランシュ(Nicolas Malebranche 1638-1715)批判は、アルノー(Antoine Arnauld 1612-94)による『真なる観念と偽なる観念』(1683)におけるマルブランシュ批判を踏まえている。マルブランシュは、全ての観念が無限に完全な存在としての神の観念を前提にしており、神の観念が有限者の内にはありえないということから、全ての観念が神の内にのみあると主張した。それに対してアルノーとロックは、観念を知覚とみなす観点からマルブランシュの神の内なる観念という立論を批判した。ただしアルノーは、マルブランシュの、神の観念がそれ以外の観念に先んじているとする前提に関しては、知覚を越えた問題であるとして是非を問うことを避けた。彼は、神の観念も、心の内に存在すると反論するに留まったのである。しかしロックはそれを越えて、神の観念を複雑観念と見做し、マルブランシュの哲学構築の前提そのものを批判した。本報告は、ロックが、いかなる観点の差異から、そのようなより踏み込んだ批判を行うに至ったのかを、検証しようとするものである。
報告2
「イギリス理想主義における有機的社会観の射程――ボーザンケットとリッチーの政治思想を中心として」
高村寛彦(横浜国立大学大学院博士課程後期)
本報告では、イギリス理想主義・第2世代を代表する2人の論者、バーナード・ボーザンケット(1848-1923)とデイビッド・リッチー(1835-1903)の政治思想に焦点をあてる。19世紀後半から世紀転換期にかけての知性史的文脈、とりわけ、社会改良運動の名の下に収斂していく思想動向のただ中にあって、しばしば特有の有機的社会観をもつことで象徴的に語られてきたイギリス理想主義ではあるが、その有機的な社会認識を支えるメタフィジカルな議論、ならびに、そうした基礎的な議論の積み上げから導きだされる人間性回復のための指針や、望ましい社会秩序の再組織化に向けた実践的処方と諸手段の選択過程は、各論者の問題関心の広がりに応じて様々なものであり得た。ボーザンケット、リッチーの両者ともに、長期不況下における産業活力の衰退と産業的病理現象の出現に同時に向き合うなかでそれぞれに独自な考察を進めたことは、同時代の理想主義のあり方により一層の多様性と複雑さを与えていたといえる。トマス・ヒル・グリーンに続くこうした理想主義の発展的な諸相に即して、それらを的確にとらえるための切り口や論点を提示することが、本報告の課題である。
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関東部会担当
山岡龍一(放送大学 yamaoka@u-air.ac.jp)
柘植尚則(慶應義塾大学 tsuge@flet.keio.ac.jp)