関東部会
第73回研究例会



日時:  2004年6月26日(土) 14:00〜17:00
場所:  慶應義塾大学 三田キャンパス北館2階 会議室2
       
報告1:「ジョン・ロックの環境倫理」

  報告者 : 今村健一郎(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
  コメンテイター : 三浦永光(津田塾大学学芸学部)

報告2:「ヒューム情念論における自己愛の問題」

  報告者: 柘植尚則(慶應義塾大学文学部)
  コメンテイター: 泉谷周三郎(横浜国立大学名誉教授)


報告の要旨

報告1 :  「ジョン・ロックの環境倫理」

今村健一郎
(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)

要旨:
   『成長の限界』(1972年)においてメドウズらは環境汚染あるいは資源枯渇によって人類に破局が到来するとの予想を示した。環境問題にたずさわる現代の科学者は、資源の枯渇よりもむしろ資源の消費にともなう環境汚染こそが破局の主要な原因になると予測している。人類にとって地球はもはや未開拓の領域(フロンティア)を有する無限に広大な空間ではない。それにもかかわらず地球を無限大のゴミ箱と見なして汚染物質を廃棄し続けるならば人類はやがて破局に至る。したがって環境汚染による破局を回避する唯一の方途は環境汚染物質の排出量の削減であり、そのためにはエネルギー消費の抑制、すなわち生産・消費活動の抑制が不可欠である。人類が破局の回避を望むならば、大地は無限に広大であると前提する「フロンティア倫理」は放棄されねばならない。

   この放棄さるべきフロンティア倫理の唱道者として名指されるのがジョン・ロックである。「神は人びとに世界を共有物として与えた」のであり、人びとが探し求めるならば、世界には「今でも広大な土地が見つけられる」というロックの『統治論』での発言は環境倫理の文脈ではキリスト教的自然観に基づく人間中心主義および無限の大地を前提し生産・消費の拡大を許容するフロンティア倫理を説いたものと理解されている。本発表はこのようなロック理解の正当性の如何を吟味し、その上で環境問題の解決を目指す今日の議論に対してロック哲学は有効なアイデアを提示しうるか否かを検討することにしたい。
 





報告2: 「ヒューム情念論における自己愛の問題」

柘植尚則
(慶應義塾大学文学部)

要旨:
   ヒュームは『人間本性論』第二巻(情念論)で「自己愛」についてこう述べている。愛の対象は他者である、それゆえ、「われわれが自己愛について語るとき、それは適切な意味においてではない」。事実、自己愛は、第二巻ではほとんど扱われていない。だが、第三巻(道徳論)や『道徳の原理に関する研究』ではしばしば取り上げられており、とくに後者の付論「自己愛について」では主題として論じられている。ヒュームは、自己愛という言葉を厳密な意味では認めていないが、そうした情念の存在は認めている。
   では、ヒュームにとって自己愛とは何か。付論については、ジョゼフ・バトラーからの影響が指摘されているが、ヒュームの自己愛は、バトラーの考える一般的原理としての自己愛と同じであるのか。また、情念論一般については、熟慮や意志に関するホッブズの議論との類似が指摘されているが、自己愛の場合もそうであるのか。本報告では、バトラーやホッブズと比較しながら、ヒュームの自己愛の特性を明らかにし、それを情念論のうちに位置づけることにしたい。




担当者:山岡 龍一     (放送大学)
                     Mail : yamaoka@u-air.ac.jp
柘植尚則(慶應義塾大学)
                     Mail : tsuge@flet.keio.ac.jp