日本イギリス哲学会
第67回関東部会 日時:2001年6月30日(土) 14時〜18時 場所:早稲田大学現代政治経済研究所会議室 報告1 「ホッブズの原因概念についての一考察」 報告者 : 川添 美央子(聖学院大学非常勤講師) コメンテーター : 山岡 龍一(放送大学助教授) 報告2 「両大戦間期における英米多元主義の対応とその理論的射程 ―G・D・H・コールとジョン・デューイを中心に―」 報告者 : 井上 弘貴(早稲田大学大学院博士課程) コメンテーター : 川本 隆史(東北大学大学院教授) 報告3 「アイザイア・バーリンと初期のオックスフォード哲学」 報告者 : 森 達也(早稲田大学大学院博士課程) コメンテーター : 半澤 孝麿(和洋女子大学教授) 会場案内 早稲田大学西早稲田キャンパス1号館2階(正門を入ってすぐ右の建物) ■JR山手線 (高田馬場駅 徒歩20分) ■西武新宿線 (高田馬場駅 徒歩20分) ■地下鉄東西線 (早稲田駅 徒歩5分) ■都バス(学バス)(高田馬場駅 - 早大正門) 問い合わせ: 佐藤正志(早稲田大学政治経済学部) TEL : 03-5286-1210 (ダイヤルイン) E-mail: ssato@mn.waseda.ac.jp 報告要旨
ホッブズの原因概念に関する一考察 川添 美央子 問題設定 感覚的受動性に特徴づけられたホッブズの決定論的人間観にあって、政治学の作為 性や契約の行為をいかに考えるべきかという問題は、幾度となく提起されてきた。本 報告ではホッブズが定義しかつ用いる原因(cause)概念の様々な側面を解明するこ とでこの問題に接近し、彼の描く契約行為にどの程度感覚的受動性を超える契機を見 出しうるかを考察する。 構成 ・ 『物体論』における原因概念 1)原因概念の幾つかの様相 ホッブズの論ずる原因のあり方には、・運動としての側面、・偶有性としての側面 、・言語の連結をつかさどるものとしての側面など、多様な様相が存することをまず 指摘。その上で「普遍的原因(universalcause)」としての地位も与えられている 「運動」が、真に・と・の基礎たりえているか否かも検討。 2)原因の諸様相の背後 1)において抽出されたような、原因の多様な側面が存立しうるために、暗黙の前 提とされているはずのものは何か。物体そのものの特性や人間の持つある種の抽象能 力などに焦点を当てつつ解明。 ・ 政治学における原因概念 政治学において登場する原因概念の内実を、 1) 学問の方法に関する議論 2) コモンウェルスの原因と生成に関する議論 から明らかにしたい。その上で、・-2)で解明された諸前提をこれらの議論の中に も想定しうるかどうかを考察。 ・ 結論 自然哲学と政治哲学双方に登場する様々な原因概念の背後に暗黙に前提とされてい たものは何であり、それはホッブズの描く契約行為をいかなるものとして理解せしめ るかについて、一定の見通しを得たい。 〔報告者紹介〕聖学院大学非常勤講師。論文:「自由意志論争におけるホッブズの 二つの視座」(『法学政治学論及』第40号、1999年春季号)、「政治思想における自 由意志の問題」(『法学政治学論及』第45号、2000年夏季号)など。 両大戦間期における英米多元主義の対応とその理論的射程 ―G・D・H・コールとジョン・デューイを中心に― 井上 弘貴 本報告は、両大戦間期のアメリカとイギリスで展開された多元主義政治理論が、一 九三〇年代の危機の時期にどのような理論的対応を試みたかを考察し、そのなかに含 まれていた理論的可能性を再考しようとするものである。報告者は古典的な政治的多 元主義者たちのなかでも、アメリカ・プラグマティズムの代表的論者であるジョン・ デューイとギルド社会主義の主唱者のひとりであるG・D・H・コールとを取りあげる。 フェビアン社会主義の国家主義的な理論傾向に抗するかたちで、職能団体による労 働者の横断的な経済統制を主張したギルド社会主義は、一九二〇年代以降理論的な影 響力を失い、その後長く忘れられた潮流となっていたが、近年ふたたび再評価がなさ れている。ポール・ハーストやデヴィッド・ニコルスといった論者は、官僚主義的な 共産主義体制の崩壊と西洋福祉国家体制の変容をまえに、ラスキやフィッギス、コー ルらのギルド社会主義のなかにアソシエーティヴなデモクラシーの可能性をみている。 ジョン・デューイもまた、その名声とは裏腹に久しく忘れられた思想家となってい たが、リチャード・ローティによる再発見以来、生活様式としてデモクラシーを考察 した重要な思想家として多くの論者によって再評価がなされている。 報告者はこうした再評価の動向を踏まえつつ、大恐慌以降西欧においてファシズム が台頭し、アメリカではニューディール政策が試みられる一九三〇年代に焦点を当て 、コールとデューイの多元主義が政治的危機にたいしてどのような対応をみせたかを 考察する。とりわけ、コールのマルクス主義への傾斜、デューイのニューディールに たいする反対と民主的な社会的プランニングの提唱に着目したいと考える。ここから 報告者は、政治的多元主義を今日再評価するために、われわれはいかなることを教訓 としてコールやデューイから読みとるべきか提起する。 〔報告者紹介〕早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程。論文:「デューイ政治 理論の社会行為論的再構成――三つの文脈におけるデューイ理解のために」(『早稲 田政治公法研究』第64号、2000年8月)、「集合的知性の政治学――ジョン・デュー イの民主的な社会的プランニングとその組織論的射程」(『早稲田政治公法研究』第 67号、2001年8月刊行予定)。 アイザイア・バーリンと初期のオックスフォード哲学 森 達也 1.英米および日本におけるバーリン研究の動向とその検討 2.オックスフォード哲学の成立期におけるバーリン 3.1950年代における英米哲学の転回 4.言語分析の限界:哲学から政治理論・思想史へ 1980年以来、自由論を中心にバーリン思想を研究し続けてきたジョン・グレイは、 その集大成としてBerlin (Fontana Press,1995)を発表した。この研究は、それまで バーリン研究の中心的な論点であり続けてきた自由論と価値多元主義の問題をバーリ ンの思想史研究と関連させながら包括的に論じており、それゆえ最近においてもっと も影響力のある研究としてしばしば言及されている。以前は『二つの自由概念』に集 中していた日本のバーリン研究も、近年、このグレイが示した方向性を評価しはじめ ている。しかしながら、グレイの研究によってバーリン研究は収束するどころか、逆 に活発化してきている。そこではバーリン思想の「グレイ化」に対する批判が提起さ れると同時に、グレイが言及しつつも徹底的に掘り下げなかった問題、すなわちバー リン思想における合理性の概念と啓蒙の問いが議論されはじめている。 反啓蒙主義の哲学者たちに対する強い共感にもかかわらず、自らを「合理主義的な 自由主義者」と言って憚らなかったバーリンの態度をいかに理解すべきかという問題 は、価値多元主義や自由論など彼の政治理論の問題によって汲み尽されるものではな く、その根底にある彼のユliberal mindユの理解に、また、ユdecentsocietyユという彼 自身の言葉によって端的に表現されるところの「文明と野蛮」の問いに通じている。 本報告では、楽観的な合理主義を退けつつも非合理主義に与しない彼の態度の端緒を 、「オックスフォード哲学」期(1937-1958)における彼の諸論文に求める。そこにお いて彼は、一方でラッセル流の狭い論理分析を――より広くは「一元論(monism)」を ――批判し、他方で哲学における言語の問題の重要性を認識している。その後バーリ ンはオックスフォード哲学流の言語分析とは一定の距離を取りながらも、他方で同時 代における言語哲学の成果を摂取して自らの政治理論・思想史研究に投影していく。 本報告では、オックスフォード哲学期に見られるこのようなバーリンの態度を同時代 の哲学潮流の文脈と語彙に則して解釈することで、彼の思想における合理性の概念と 「一元論」批判の意味を明確にすることを目的とする。 〔報告者紹介〕早稲田大学政治学研究科博士後期課程。論文:「バーリン政治思想に おける哲学的構想―『オックスフォード哲学』期を中心にして―」(『早稲田政治公 法研究』66号、2001年)。 |