日本イギリス哲学会
第32回関西部会例会

日時 : 7月16日(土曜) 午後1時30分から5時
場所 : 京都大学法経総合研究棟201号室
交通アクセスと地図については下記のURLをごらん下さい。
http://www.kyoto-u.ac.jp/access/kmap/map6r_y.htm

報告1 青木滋之(日本学術振興会特別研究員PD)
題目「ロックのデカルト批判 -実体の本質をめぐって」
時間 1:30−3:00(討論を含む)

休憩 3:00−3:30

報告2 桜井徹(神戸大学)
題目「ダーウィニズムとリベラル優生学」
時間 3:30−5:00(討論を含む)

例会の後、簡単な懇親会を予定しております。こちらにも奮ってご参加ください。

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ロックのデカルト批判 -実体の本質をめぐって
青木滋之

ロックが若き日々を過ごした、1640-50年代でのウェストミンスターやオックスフォードでの教育に対する不満というのは、デカルトがラフレーシ学院で抱いた不満(『方法序説』第一部)とほぼ一致するものであったことは、よく知られている。さらに、ロックを初めて哲学に導いたとされるのは、他でもないデカルトの哲学であったことも、晩年のマシャム婦人との談話から研究書などで頻繁に引用されてきている。しかし、若きロックがデカルト哲学から一体何を吸収したのか、さらに、熟年期のロックがデカルト哲学に対してどのような態度を取ったのかについては、意外とあまり論じられてこなかったのではないだろうか。若きロックが何をデカルト哲学から学んだのか、そして、後に『人間知性論』でどのような批判的議論をデカルトの形而上学に対して行ったのか、こうした点を1つ1つ検討していくことは、ロック哲学の内在的な性格を見定めるためのみならず、「大陸合理論」と袂を分かったと言われる、ロック以後のイギリス経験論の源流を知る上でも、重要な作業であるように思われる。
本報告は、『人間知性論』の幾つかの箇所で断片的に展開されているロックのデカルト批判を収集・分析しながら、ロックによるデカルト批判を整理・体系化していくことを企図している。ただし、ロックによる多岐に渡るデカルト批判の、あらゆる側面を扱うことはできない。そこで本報告は、デカルトが提唱した実体二元論に対して、ロックがどのようなスタンスを採ったかという点に焦点を絞りたい。その要点は、デカルトが、アプリオリな論証によって心的実体ないし物的実体の本質を我々は認識できると論じていたのに対して、ロックは、そうしたアプリオリな論証によって一挙に実体の本質を把握するという方法論を拒絶し、観察経験による漸次的な人間知識の拡張を提唱するモデルを提供した、というものである。我々にとって認識論的に明らかなのは、心的性質ないし物的性質という、(2つのグループの実体に属すると我々が想定するところの)実体の表面的な性質のみであり、実体そのものの観念や、実体の本質については不明瞭に留まる、というのがロックの回答である。それゆえ本報告では、ロックは実体二元論ではなく、性質(特性)二元論を、経験論的な基盤から主張した哲学者として描かれることになる。
こうした『人間知性論』での最終的な立場へと至る、ロックの哲学的立場を形成していった諸影響を正確に摘出するのは難しい。しかし、デカルトからの直接/間接的な影響があったことは間違いないと思われる。そこで、本報告では、ロックがデカルト哲学から継承した哲学的概念と、拒絶したデカルト哲学の要素とを見定めるという作業も、上の要点の提示と平行して行おうと思う。こうしたデカルトの遺産の継承/拒絶という緊張関係の検討を通じてこそ、ロック哲学が持つインパクトの重要な側面が見えてくるのだというのが、本報告が全体として示そうとする点である。

(あおき しげゆき・日本学術振興会特別研究員)


ダーウィニズムとリベラル優生学
桜井 徹

 現代の進化論の主流をなすダーウィニズムは、すでにそれが形成された19世紀において社会的イデオロギーから強い影響を受けていた。ダーウィンがその自然選択論の形成過程において、当時の政治経済学、とりわけマルサスの人口論から大きな影響を受けたことは、ダーウィン自身の言葉を含めた多くの証拠によって常識化しつつある。すなわち、イギリスの自由主義政治経済学が奉じる自由競争のエートスが、ダーウィンの進化の観念に多大な影響を与えたのである。
 しかし重要なのは、イデオロギーとしてのダーウィニズムが逆に、自由市場経済理論と右派政治思想の基礎にもなりうることである。競争のプロセスが完全に「自然な」メカニズムであると主張され、競争における失敗は苛酷に見えるかもしれないが、公平で、正当で、不可避のものだと強調される。ここでは、市場が、人間の構築した人為的制度としてではなく、人間が抗うことのできない自然的な力として現われている。自然選択、最適者生存といったダーウィン主義的原理の人間社会への適用は、社会構造は自然なものだから変更不可能だという現状の正当化の役割を暗黙裡に果たすともいえるのである。
 他方、ダーウィニズムはまた、全体を部分への分割によって理解しようとする還元主義的自然観や、生物は内的な原因である遺伝子によって決定されると考える生物学的決定論の理論的淵源にもなっている。本報告では、このダーウィニズムが、将来の「人間本性」のあり方を改変するかもしれないバイオ・テクノロジーの進捗に、どのような規範的含意をもっているのかを探りたい。バイオ・テクノロジーによるヒト遺伝子への積極的な介入を支持する科学者たちは、なべてダーウィニストであると同時に、現在のグローバル化した市場経済の支配下においては、もはや特定のテクノロジーを禁止することは不可能だという現状追随の姿勢を示しているが、この点は科学とイデオロギーの交錯を象徴している。ダーウィンにおける環境が生物に対して一方的に適応を迫ったように、今や市場が人間本性を淘汰していくと予想されているのである。
 本報告では、ダーウィニズムという近代を代表する還元主義的自然観が、バイオ・テクノロジーの進歩に直面していかなる規範的含意をもつのか、そしてまた、この自然観が免れえない倫理的窮境をいかにすれば抜け出せるのかを論じたい。

(さくらい てつ・神戸大学)

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伊勢俊彦(立命館大学)tit03611@lt.ritsumei.ac.jp
小田川大典(岡山大学)odagawa@law.okayama-u.ac.jp