関東部会
第74回研究例会
(会場変更のお知らせ(11月17日更新))



日時:  2004年12月4日(土) 14:00〜17:00
場所:  慶應義塾大学 三田キャンパス北館1階会議室 (ご注意:会場が変更になっています!)
       
報告1:「ファーガスンにおける未開人の自由と文明人の自由――2つの自由の接合点としての共同体愛」

  報告者:青木裕子 会員(国際基督教大学社会科学研究所研究員)
  コメンテイター : 田中正司 会員(横浜市立大学名誉教授)

報告2:「フランス革命期ベンサムの「政治的急進主義」」

  報告者:小畑俊太郎 会員(日本学術振興会特別研究員DC、東京都立大学大学院社会科学研究科)
  コメンテイター:有江大介 会員(横浜国立大学経済学部)


報告の要旨

報告1 :  「ファーガスンにおける未開人の自由と文明人の自由――2つの自由の接合点としての共同体愛」

青木裕子 会員(国際基督教大学社会科学研究所研究員)


要旨:
   本報告の目的は、18世紀スコットランド啓蒙の代表的な思想家の一人であるアダム・ファーガスン(Adam Ferguson, 1723-1816)の市民社会(civil society)論において重なり合う2つの自由の概念を検討することにある。そして、ファーガスンの議論において、両者が相互補完的な関係にあり、単純な二分法に陥っていないこと、また、両者を接合するものとして不可欠な共同体愛について探究することにある。ファーガスンの代表作、『市民社会史論』(1767年)が、この探究の主要な導き手となるが、『道徳政治科学原理』(1792年)、『プライスへの反論』(1776年)等、他の著述もファーガスンの自由の概念を探究する上で不可欠な源泉であることは言うまでもない。

   2つの自由とは、文明諸国民にのみ与えられた自由(liberty)、そして、未開人が持っていた自由(freedom)である。自由(liberty)は、「法による統治の結果として生じるもの」であり、文明社会に固有の一つの権利である市民的自由(civil liberty)と同定された。束縛を甘んじる中で、あるいは、法に服従する上で享受できる自由(liberty)であった。これに対し、未開社会において、ある人が自由であるということは、自由(freedom)の精神を持つことであり、何ものにも束縛、強制されず、何ものにも服従しないことを指していた。それを可能にしたのが、未開人一人一人の自衛力と勇気、同胞愛だった。このように、未開人に著しく認められた自由(freedom)は、不服従としての自由と定義できた。

   各人が各々の私的関心事に没頭し得る平穏な近代文明社会は、各人の法への遵守により実現されるが、法の遵守は法への盲従に陥りやすく、ひいては腐敗、そして、一人の暴君や、少数の政策決定者への盲従と同様に、専制への道を敷いている。ファーガスンが最も警戒したのは、社会に対する知的責任能力を知らず知らずの内に失った市民が、「多数による専制」を敷くことだった。このような事態を避けるために、ファーガスンは、未開人に見られた自由の精神 (freedom)を維持することが、近代文明社会における自由(liberty)をも維持する重要な役割を果たすことを説いた。この意味で、彼の市民社会論において、未開人の自由(freedom)と文明人の自由(liberty)は、相互補完的な関係にあり、単純な二分法には陥っておらず、寧ろ、後者の維持のために前者を補強する関係にあることが認められた。しかし、両自由が両立され、接合されるにはどうすればよいのか。ファーガスンが期待したのは、未開社会の人類においても見られた、共同体愛、あるいは社会との関わり合いから生まれる人間のエネルギーが、それらを接合することであった。ファーガスンの議論は、共通善への奉仕や社会における統一的な価値観を強いることなく、社会的精神や共同体愛に期待しており、個人的自由と市民的自由との接合という、現代社会の重要な課題の解決の糸口を、思想史に求める可能性と必要性をも示唆していると言えよう。

   * 本報告は、2004年4月に国際基督教大学大学院に提出した筆者の博士論文、『アダム・ファーガスンの市民社会論−「市民的自由」の維持と「多数による専制」の回避』の第4章を元にして行われる予定である。
   * また、本報告は、国際基督教大学COE「平和・安全・共生研 究」の助成金を受けている。
 





報告2: 「フランス革命期ベンサムの「政治的急進主義」」

小畑俊太郎
(日本学術振興会特別研究員DC、東京都立大学大学院社会科学研究科)

要旨:
   ジェレミー・ベンサム(1748-1832)が、フランス革命期、とりわけ一七八九年―九〇年に、多くの急進的な議会改革論を展開したことによって、一時的に「政治的急進主義」(Political Radicalism)にコミットしたことはよく知られている。しかしながら、多くの研究者がその事実を認めるものの、コミットメントの政治的思想的背景については、ほとんど解明されてきていない。そのため、ベンサムのこの時期の「政治的急進主義」に関しての評価は未だに定まってはいない。

   本報告では、ベンサムが「政治的急進主義」を展開した背景として、一七八九年八月末より開始された、フランス憲法制定議会での「権力の分立」の具対像をめぐる憲法審議に着目する。主権者としての国民はいかにして代表されるべきか、さらには、代表と執行権力保持者としての国王は、立法府においてどのように関わるべきか、がそこでの焦点であった。ベンサムの急進的な主張が、以上の審議過程の文脈に密接に関連して展開されたものであること、また、それが一時的なものにとどまったのも、フランス革命の展開と密接に関連していたことを、ベンサムの政治的パンフレットを詳細に検討することによって明らかにしたい。




担当者:山岡 龍一     (放送大学)
                     Mail : yamaoka@u-air.ac.jp
柘植尚則(慶應義塾大学)
                     Mail : tsuge@flet.keio.ac.jp